是川遺跡
【これかわいせき】

縄文時代の遺跡。八戸市是川にある遺跡。新井田川左岸に位置する。厳密には前・中期の一王寺遺跡と中・後期の堀田遺跡,さらに晩期の中居遺跡の3遺跡からなる。しかし,一般には晩期の泥炭層遺跡である中居遺跡を指す。これらは,昭和32年に是川石器時代遺跡の名称で国史跡に指定された。大正15年に長谷部言人・山内清男によって一王寺遺跡が発掘調査され,これはのちに北津軽郡市浦(しうら)村オセドウ貝塚の出土資料とともに円筒土器分かの指定へとなった。昭和3年には大山柏らによって中居遺跡が発掘調査され多数の植物性遺物を出土し,泥炭層がクルミ・トチ・ナラなどの堅果類からなる特殊泥炭層であることが判明した。また,市立歴史民族資料館管理棟建設に伴い,昭和49年に市教育委員会によって発掘調査がなされ,ベンガラで覆われた2体を含む8体の人骨が出土した。しかし,当遺跡が晩期を代表する遺跡として著名であるのは,出土品の量,優勝なことなどのほかに,地主であった泉山岩次郎とその義弟の斐次郎が,大正9年ごろから発掘をし,出土した遺物はすべて散逸させずに保存したためであり,これらの遺物は昭和35年に八戸市に寄贈された。出土遺物の点数は,中居遺跡出土品が4,006点(内訳は,亀ケ岡式土器1,688・土製品255・石器1,954・骨角器4,木器など植物質製品78,自然遺物19・土師器8),一王寺遺跡出土品が149点(内訳は,円筒土器20・土偶3・骨角器100・自然遺物26),その他各地出土品923点の合計5,078点の多数にのぼる。土器は,破片を含まない数という。これらのうち,土器類343・石器類141・木器類39・玉類63・土偶類47の計633点が陸奥国是川遺跡出土品として昭和37年に国重文に指定された。数多い優れた遺物の中でも,赤漆塗飾り太刀・赤漆塗弓・篦形木製品・籃胎漆器などの植物性の遺物は,当遺跡を代表するものといえよう。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7010961 |





