城ケ沢
【じょうがさわ】

旧国名:陸奥
下北半島先端部,陸奥湾に注ぐ永下川・大川目川の流域とその北東部に位置し,南東部は陸奥湾に接する。津名の由来は,安東盛親が宝治3年に築城したといわれる鶴ケ崎順法寺城があったことにちなむ。同城はその後正平2年に南部信政が修築したといわれ,また護良親王の遺児八幡丸を奉じて北部王(北部(きたべ)とは七戸・野原地・田名部(たなぶ)周辺の総称)としたのは伝説がある。地内には,縄文後期の土器片が出土した八角館遺跡,また石器も出土した永下遺跡,縄文前・後期,弥生前・中期の土器片や磨製石斧・石鏃などが出土した角違(すみちがい)遺跡がある。また奈良・平安期の製塩遺跡が発見され,鎌倉期~室町期の土師器片・空濠が出土した城ケ沢館遺跡もある。ほかに帯刀館(八角館)と呼ばれる館跡がある。
【城ケ沢村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【城ケ沢(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7011295 |





