後方羊蹄
【しりべし】

旧国名:陸奥
(古代)飛鳥期に見える地名。「日本書紀」斉明天皇5年3月条に「遣阿倍臣,率船師一百八十艘討蝦夷国……即以船一隻与五色綵帛,祭彼地神,至肉入籠,時問蝦夷胆鹿嶋・
穂名二人進日,可以後方羊蹄為政所焉……随胆鹿嶋等語遂置郡領而帰」と見え,180艘の船を率いた阿倍比羅夫は蝦夷国を討ち,飽田郡・渟代郡・津軽郡・胆振鉏の蝦夷や虜を集めて供応して禄を与え,さらに肉入籠に至り問
の蝦夷胆鹿嶋と
穂名の進言により後方羊蹄を政所として郡領を置いて帰ったと記されている。後方羊蹄はアイヌ語によると考えられ,シリは陸地が海中に突き出た所,ベチは川という意味で,時には沼潟にも用いられるという(地名辞書)。これによれば,シリベシは砂洲によって囲まれた河口ないし潟を意味すると考えられる。現在の北海道後志(しりべし)地方に比定する説のほか,本県では深浦町深浦付近,市浦(しうら)村十三付近,青森市後潟付近,青森市松森付近などに比定する説があり,詳細は不明。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7011350 |