建石
【たていし】

旧国名:陸奥
古くは館石と書く。江戸期は立石と書くことが多い。鳴沢川上流域,岩木山北麓に続く丘陵地上に位置する。北部にもと陸軍の演習地である山田野が広がり,北東部に小戸六溜池・狄ケ館溜池がある。集落を東西に横断する道がもとの西浜街道(秋田街道)である。集落の西南の台地上に大曲遺跡がある。出土の土器は形式から縄文前期末・中期・後期・晩期のものであり,石鏃,掻器,石斧,住居跡もみられる。特にⅢ号遺跡には,環状列石,配石遺構がみられる。また鳴沢川・湯舟川に挟まれた大館森山遺跡には30ほどの竪穴住居の散在がみられ,擦文式土器,土師器,須恵器,鉄滓,木炭などが出土する。また製鉄遺構の出土した大平野(おおたいの)Ⅲ号遺跡も付近にある。
【立石村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【建石(近代)】 明治22年~昭和30年の鳴沢村の大字名。
【建石町(近代)】 昭和30年~現在の鰺ケ沢町の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7011652 |





