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田名部神社
【たなぶじんじゃ】


むつ市田名部町にある神社。旧郷社。祭神は味耟高比古根命・誉田別尊。古くは示現太郎大明神と称した。旧明神町に位置し,町名の由来となった。元和年間の田名部の火災で古記録を焼失し,縁起は不明だが,栃木県宇都宮市の二荒山神社から勧請したといわれる。かつては康永4年銘の鰐口があり(国誌),それ以前の創祀と考えられる。宝暦年間の御領分社堂に「正一位大明神宮」と見え,治郎右衛門が俗別当を務めていた。寛政年間の「邦内郷村志」には「大明神堂」とあり,近世末期の南部領寺社鑑写には「示現太郎大明神」と記されている。元和9年・寛文元年・元禄6年・享保17年の棟札が残っていたという(国誌)。近世期には田名部通(盛岡藩行政区の1つ)の総鎮守といわれ,田名部代官所より祭事係が出張して宰領した。神輿渡御は5,000石の格式で行列を整え,先乗後乗の騎馬および鉄砲10人,立弓5人,槍・薙刀・挟箱・伊達道具・鎧武者・徒士同心らを供奉して荘厳を極めた(田名部町誌)。山車は横迎町の稲荷山・小川町の猩山・柳町の大黒山・本町の蛭子山・新町の香炉峰と5町内から繰り出し,その様式や囃子は京都祇園祭にならった。祭典の開始と終了は早馬で盛岡まで報告したといわれている。明治6年田名部館跡にあった八幡宮に合祀されたが,のちともに現社地へ遷座し,同9年現社名に改めた。奥の院手前の石鳥居は,寛政12年に大坂通功丸堺屋兵助・田名部熊谷又兵衛・山本理左衛門・山本市郎兵衛・熊谷与兵衛の5人で寄進したもの。例祭は8月18日から3日間行われ,市民はもちろん下北郡下の夏祭として盛大に催されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7011672