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田名部通
【たなぶどおり】


野辺地と田名部(むつ市)を結ぶ街道。野辺地から陸奥湾岸を北上し,横浜を通り,田名部に至る。現在の国道279号の路線にほぼ相当する。街道の名称は目的地の地名にちなみ,田名部街道・田名部往還とも呼ばれた。慶安2年の「大道筋」(奥州之内南部領海陸道規帳)によれば,入海辺道として野辺地-横浜-中ノ沢(むつ市)-田名部の順路が記され,距離は10里とある。「邦内貢賦記」の天和年間の調べによれば,野辺地-有戸(野辺地町)-横浜-田名部間は13里21町24間あった。この街道は陸奥湾岸の砂浜を主に歩いたものと思われ,田名部へ入る手前の田名部川には橋が架けられていた。文政13年写の「御国中賃銭割付」によれば,野辺地~有戸間は本荷80文・軽尻53文・歩行夫40文,有戸~横浜間は本荷175文・軽尻118文・歩行夫86文,横浜~田名部間は本荷253文・軽尻167文・歩行夫127文であった。幕府巡見使は津軽領から奥州街道を通って野辺地へ入り,田名部通を北上して田名部へ向かうルートを通っている。田名部には盛岡藩の行政区画である田名部通を統轄する代官所が置かれ,藩政初期からこの街道は藩庁との連絡路として使用されたものと思われ,特に文禄・慶長年間から下北半島のヒバ材は盛んに上方・江戸方面に搬送され,藩財政を潤したが,その際送り状の送付にはこの街道を飛脚が通行したと考えられる。江戸後期になると異国船の出没に伴い,北方警備が重要な課題になり,盛岡藩は下北半島への藩士の派遣,さらに幕命による蝦夷地警備のために藩兵を派遣する際に,この街道は輸送路として重視された。幕末には幕吏や諸藩士の往来も頻繁であった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7011675