種里
【たねさと】

旧国名:陸奥
赤石川下流左岸に位置し,西部に白神山地が広がる。下流には金沢(南金沢),南東の対岸には小森の集落がある。地名の由来に関しては,菅江真澄の「雪のもろ滝」の中で,往古,当地方が飢饉にみまわれた時,村を他所に移そうとして火を放ったところ,田の水がぬるみ稲穂が伸び良い実りを得たため,周辺の各村はこの籾をもらって苗代にまいたことから,当村を種里と呼んだという伝承を記している。中世末期,種里は大浦氏の根拠地であり,津軽氏の系譜書などでは,南部氏によって下久慈に監禁された大浦秀則の曽孫光信が,延徳3年南部信時の時,鼻和一郡を与えられて種里に入部したというが,光信は南部氏の一族金沢家光の孫であるとする説もある。この大浦氏が拠ったとされるのが種里城,別称山上館である。種里集落の西南にあり,東向きの山稜を利用した比高約60mの山城である。遺構としては東西約500m・南北約550mであるが,一部は果樹園などになっている。二の郭跡とされる場所に大永6年死去した大浦光信の墓があり,御廟館ともよばれる。大浦氏勢力の伸長にしたがって明応年間光信により大浦山海蔵寺,享禄元年盛信により太平山長勝寺,慶長4年種里山鳳松院が建てられたが,後にすべて弘前に移された。文亀2年,大浦盛信は本拠を大浦に移し,種里には城番として安部伯耆を置いたといい(津軽封内城址考),また為信も山上衛門佐を置き,西浜支配の要としたという(津軽一統志)。天文年間の津軽郡中名字には立里と記され,当地に比定される(同前)。
【種里村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【種里(近代)】 明治22年~昭和30年の赤石村の大字名。
【種里町(近代)】 昭和30年~現在の鰺ケ沢町の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7011682 |





