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俵元新田
【たわらもとしんでん】


旧国名:陸奥

(近世)江戸期の弘前藩の組名。貞享4年の総検地後,遣に代わって新たに設置された行政区域25組の1つ。津軽郡田舎庄のうち。津軽平野の中部,岩木川の中流右岸に位置する。飯詰組の8か村の地域を対象にした新田開発を宝永元年に終了し,この8か村をもって新たに組名としての俵元新田が成立した(平山日記)。新田開発には俵元新田堰の水貫普請が必要であったとみえ,工事には宝永2年に人足350人・銀175匁を要したことが知られる(同前)。享保12年の組内の村は,豊成村・浅井村・福山村・富升村・末広村・富川村・水能尾(みずのお)村・米田村の8か村であった(同前)。元文2年の検地帳によれば,組内の田1,495石余,272町9反余,畑178石余・76町8反余であった(五所川原市総合沿革史)。宝暦~明和年間頃の親村5・寄郷4,庄屋5・五人組12,手代1(弘前市史)。明和元年の藩律によれば,村数8,戸数240余・人口1,460余とある。寛政改革の藩士土着政策によって,組内の村8か村のうち2か村に在宅藩士が居住した(御家中在宅之族村寄)。寛政8年の津軽郡諸組民力消耗表(県租税誌)に,組内の面積は田方275町9反・畑32町6反,貢米2,208俵,給地高なし,高懸畑銀納966匁,人口776・戸数135,馬159とある。明治2年の諸組村寄帳(弘前図書館郷土資料目録7)には,所属村として浅井村・水野尾村・富升村・末広村・米田村・富川村・福山村・豊成村が見え,本村8か村。明治6年の大区小区制への移行に際して,組内の村は青森県第5大区6・7小区に編入された。現五所川原市の一部に比定される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7011724