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千曳神社
【ちびきじんじゃ】


上北郡天間林村天間館にある神社。旧村社。祭神は八衢彦命・八衢姫命。千曳明神と称した。通称尾山頭の東菩提木にある。大同2年坂上田村麻呂の創祀というが,延宝年間の火災で縁起などを焼失し,以後の沿革は未詳。宝暦年間頃の御領分社堂に千曳明神とあり,善行院が別当を務めている。寛政年間の「邦内郷村志」北郡野辺地の項には千曳宮と見え,天明8年の幕府巡見使の代参を伝える。別当は野辺地町の八幡宮の別当喬岩坊の兼帯で,天台宗本山派修験の五戸村年行事多門院の支配下にあった。当社には千曳石の伝説があり,「邦内郷村志」北郡七戸の千曳明神の項にその伝説が記されている。つまり当社の神霊は石の精で,壺子という女に恋をしたが,土中深く埋められてしまったので,壺子以外は大勢の者が引いても決して動かなかったというもの。この石を千曳石といい,当社に埋めたと伝えられる。「国誌」によると,この石は尾山頭の東5丁ほどにあるという。またこれとは別に,坂上田村麻呂が「都母」の蝦夷を討った時矢筈で石に「日本中央」と刻んだ壺の石文を建てたという伝説があり,それを菩提木の南にある通称坪に比定する説がある。この壺の石文の伝説は「袖中抄」にも見えるが,現在は千曳石の話と混同されて伝えられている。明治維新後村社に列格。明治9年明治天皇東北巡幸の際,当社境内を発掘,壺の石文をさがさせたが発見できなかったと伝えるが,これも両伝説の混同によるものであろう。なお現在,東北町地域内に昭和24年東北町石文から発見された「日本中央」と刻まれた石がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7011738