100辞書・辞典一括検索

JLogos

56

長慶平
【ちょうけいだいら】


(近代)昭和22年頃~現在の深浦町の大字名。もとは,深浦町域内の国有林で営林署の管轄に属した。日本海に注ぐ吾妻川支流の東股沢上流部に位置し,白神山地中の山村である。昭和21年に政府の緊急開拓政策により,樺太・満州からの県外引揚者などが中心となって翌22年に入植を開始した。当時,陸奥平原開拓と称したが,開拓団々長堀内利弥の意見により長慶平開拓団と改称した。長慶平の由来は,長慶天皇が津軽の紙漉沢(現中津軽郡相馬村)に入るに際し,深浦に上陸して吾妻川をさかのぼって山越えをしたという伝説にちなんだものという。入植した人々は長慶平の開拓組合を結成し,その後上長慶平の開拓組合が作られ,名目的には町役場に長慶平・上長慶平の2つが大字として登記されたが,行政的には両地域を合わせて長慶平として扱われる。小字には,長慶平に薄月・北仁瀬・西芦萢(にしあしやち),上長慶平に津軽平・大林寺・芦萢・旭ケ丘・猿ノ湯・城源寺などがある。「深浦町史」によれば,製炭・木材伐採が中心で,当初は木炭を背負って深浦に運搬した。昭和23年には入植者の児童教育のため,深浦小学校長慶平分校が開設。同26年には同分校に併設して,深浦中学校長慶平分校が設置され,同29・30年には相ついで独立。同45年には長慶平小学校の校舎新築。入植者は,昭和22年当時は96戸(西津軽郡史)で,同24年には人口330人となり馬鈴薯の無肥料栽培が行われた。「深浦町史」によれば,同28年には水田耕作が始まり,同30年には自家発電の設備工事が完成し電灯がともった。同32年には集落に唯一の瀬川商店が開き,同34年に長慶平神社を建立。祭神は天照大神・月夜見命・長慶天皇。同37年瀬川商店・館口家に公衆電話が1基ずつ設置された。現在は,ナメコ栽培・肉牛飼育が中心に行われている。世帯数・人口は,昭和40年63・295,同55年54・153,同58年92・275。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7011754