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七崎神社
【ならさきじんじゃ】


八戸市豊崎町にある神社。旧郷社。祭神は伊弉冉尊。古くは七崎観音,観音堂などと称した。十和田湖生成にちなむ南蔵(祖)坊伝説があり,平安初期藤原諸江の娘が八太郎沼の大蛇の人身御供の犠牲となったため,諸江が娘を観音として祀ったのが創祀で,承和元年八太郎(八戸市)から現在地へ遷座したという。「雑書」正徳2年3月20日条に永福寺(岩手県盛岡市)から「拙僧預所七崎観音林拾五六町四方社内ハ古代より殺生禁断之地」であるが,守られないので七崎の百姓共へ守るよう申し渡してほしいという願い出が見える(八戸市史)。盛岡藩領内にあり,宝暦年間の御領分社堂に「観音堂 四間四茅葺 永福寺持」とあり永福寺持とされていた。寛保3年則誉守西が著した「奥州南部糠部順礼次第全」には「七崎山徳楽寺 本尊正観世音菩薩」とあり,糠部(ぬかのぶ)三十三観音第15番札所とされる。江戸期には御浜入りの行事があり,八太郎村の海岸まで神輿渡御が行われていた。別当寺は付近の真言宗普賢院で,本尊は愛染明王,宝照山と号した。寺伝では承安元年行海の開創で,寛保元年に快伝が中興したという(国誌)。寺領として現米5石が給され(南部領寺社鑑写),寺社修験本末支配之記に永福寺自坊として普賢院の名が見える(内史略)。伝承では盛岡へ移転する前の永福寺が普賢院の前身といわれている。明治初期の神仏分離で本尊の正観音を普賢院に移し,現社名となった。明治4年郷社に列格。境内には市文化財に指定されている3本の杉の老木があり,その中で最大のものは樹高38m,樹齢約1,000年といい,当社の起源の古さをうかがわせる。例祭は9月7日。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012176