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新館神社
【にいだてじんじゃ】


上北郡上北町新館にある神社。旧郷社。祭神は誉田別尊。創祀年代は未詳だが,「国誌」は永正年間の古物や永禄8年の玉籬造営の棟札が残るから,それ以前の創祀という。永禄8年の棟札の存在は寛政年間の「邦内郷村志」にも見える。現在七戸城跡に所在する神明宮(七戸町大字町)とともに南部信濃守行信の奉納目録があるといわれ(国誌),南部氏にかかわる神社として中世以来高い格式を誇っていたと考えられる。盛岡藩設置以後は歴代藩主などの崇敬を受け,慶長13年七戸城主南(七戸)直勝が再建したほか,承応3年に3代藩主南部重直とその弟重信が再建,延宝2年4代藩主重信が葺替え,元禄10年5代藩主行信が葺替えと瑞籬・鳥居の建立,宝暦10年9代藩主利雄による葺替え,天明元年10代藩主利正の修復,寛政3年11代藩主利敬の葺替え,文化2年利敬の再建,文政10年には13代藩主利済が葺替えをしている(国誌)。七戸氏の隼人正から社領10石を給されたとも,七戸正直が再建した際に蝦夷ケ鼻(七戸町)で10石の田を寄進したともいう。当初は村民持で別当もなかったが,七戸正直が再建した時に京都若王寺末の万蔵院を別当とした(国誌)。宝暦年間頃の御領分社堂には八幡宮と見え,立花院が別当を務めている。また「邦内郷村志」には「八幡別当尭淋院」とあり,社領10石は新館村に所在したという。明治維新後八幡宮として村社に列したが,明治14年郷社に列し,その頃現社名に改称した。「国誌」によると,毎年8月14・15日に祭札があり,14日は七戸の神明宮への神輿渡御,15日には還御して警馬の式(流鏑馬)が行われ,「遠近より群集し,昼夜雑騰し近郷並びなし」といわれた。現在は9月15日。神楽が旧拝殿で行われる。七戸隼人正直茂奉納の甲冑があるほか,青岩寺(七戸町)山門の仁王像2体はもと当社にあったものといわれる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012200