100辞書・辞典一括検索

JLogos

15

乳井通
【にゅういどおり】


羽州街道の鯖石(さばいし)(大鰐町)と浪岡を結ぶ街道。鯖石から八幡館(大鰐町)―乳井(弘前市)―吹上―柏木―大光寺(以上平賀町)―高木(尾上町)―黒石―高館(以上黒石市)―本郷―吉内(以上浪岡町)を経て浪岡に至る。浪岡からは羽州街道・大豆坂通を通って青森と結ぶ。現在の鯖石~黒石間は主要地方道大鰐浪岡線,黒石~浪岡間は県道浪岡北中野黒石線の路線にほぼ相当する。街道の名称は乳井を通ることに由来する。延宝9年の御郡中駄賃定には,経路がやや異なるが碇ケ関(いかりがせき)(碇ケ関村)―小和森(こわもり)(平賀町)―黒石を経て浪岡へ至る道筋を「乳井通」としている。また鯖石から黒石へ向かっては黒石道,黒石以北は青盛(青森)街道・浪岡街道とも呼ばれたが,これは明暦2年に黒石津軽家が成立したためである。「慶安2年道筋帳」には,東根小道とあり,大鰐剣ケ鼻大道から浪岡までの距離は5里21町であった。承応2年の「津軽領道程帳」には同区間が6里7町となっている。元禄7年の御国中道程之図には,距離は6里1町16間1尺5寸とあり,このうち黒石川(浅瀬石(あせいし)川,広さ23間・深さ1尺4~5寸)と十川(広さ3間)は徒渡りであった。弘前を経由せずに青森へ行く場合,羽州街道を鯖石から乳井通を経て,浪岡から大豆坂通を通って青森へ至ると1里半短縮できた。文久4年の御領分中道程駄賃定によれば,碇ケ関~小和森間は本荷夏132文・冬172文,軽尻夏88文・冬114文,歩行夫夏66文・冬86文,小和森~黒石間は本荷夏39文・冬51文,軽尻夏26文・冬34文,歩行夫夏20文・冬26文,黒石~浪岡間は本荷夏55文・冬71文,軽尻夏37文・冬48文,歩行夫夏27文・冬35文とある。明暦2年の黒石津軽家の成立によって鯖石~黒石間は,黒石津軽氏の参勤交代路として利用され,文化6年同氏が1万石の大名となり,さらに重視された。明治元年,五稜郭の戦の難を避けた箱館府知事清水谷公考は,青森の蓮心寺から大豆坂通を通って浪岡の玄徳寺へ移り,さらに当街道へ入って黒石の感随寺に本営を置いた。これに先立つ野辺地戦争に際し,黒石津軽家は自領の平内領狩場沢を守衛した。また明治2年には2小隊153人が本藩の弘前津軽家とともに箱館へ渡海している。当街道は,五稜郭の戦に際して黒石津軽家の兵士が往来する道として利用された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012272