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八幡宮
【はちまんぐう】


十和田市滝沢字中渡にある神社。旧郷社。祭神は誉田別尊。創祀について「国誌」には,南部2代実光が承久2年家臣対馬平治郎某に命じて,旧領甲斐国から当地に遷座させたとある。南部実光は初代光行,承久2年は建久2年ともいわれ,明確ではない。その後貞応元年に櫛引村(八戸市八幡)に遷り,以後櫛引八幡宮として根城南部氏の氏神,盛岡藩の総鎮守という性格が付加された(南部史要)。櫛引八幡宮遷座後の跡地に祀られたのが当社で,正徳5年の「陸奥南部糠部郡滝沢中渡正八幡宮縁起」によれば,正徳4年当地で,「鏡像ノ粛爾トシテ樫木ノ枝ニ懸レルヲ獲タリ,是則チ櫛挽ノ神形」だったので,「新タニ小社ヲ創建シテ,以テ神躯ヲ安置」したという(滝沢貞夫家所蔵文書/十和田市史)。櫛引八幡宮に対して本宮と呼ばれ,正徳4年銘の棟札には「滝沢村中渡正八幡宮」と記されている(同前)。天台系本山派の修験者が別当を務め,代々永寿院を称している。弘化2年7月12日の永寿院社領証文によると,同日現米1駄が寄進されている(多門院文書/十和田市史)。また社領として「二石他ニ御馬御供米料御神酒代一貫匁」が与えられている(修験面附)。延享3年霞小村割渡指置覚(多門院文書)によると,霞場は指久保・漆畠・赤伏・館村上下・米内沼・横倉・高屋・中ノ渡・松木屋敷9か村であったが,天保12年の永寿院霞場覚(多門院文書/十和田市史)では米田村(十和田市米田)明学坊の霞万内・おその沢・小林・笊畑・長した・川尻・平中・森の越を合わせて17か村を霞場としている。明治6年郷社に列格。祭礼は古くは8月15日だったが,新暦に変更して9月15日となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012404