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八幡宮
【はちまんぐう】


三戸郡南部町小向にある神社。旧村社。祭神は誉田別命。本三戸八幡宮とも称する。南部光行が甲斐国より勧請したと伝える(邦内郷村志)。光行は加賀美信濃守遠光の三男。甲斐国巨摩郡南部郷の初代地頭となり,南部氏を称し,その後源頼朝の奥州進出での軍功により陸奥国糠部(ぬかのぶ)軍を賜ったという。代々南部氏の庇護を受け,崇敬を集め,盛岡藩2代藩主南部利直は社領18石余を給し(国誌),寛文3年6月には3代藩主重直が,武運長久と子孫繁栄を祈願して再興した(八幡棟札/邦内郷村志)。「御領分社堂」にも「承久二〈庚辰〉年自甲州奉遷幸也,御代々御上御建立にて御修復等も被迎付来候」と記されている。江戸期の社領は20石,別当は修験花厳院で,三戸年行事威徳院の配下にあった(邦内郷村志)。「御領分社堂」によると,櫛引村の櫛引八幡宮(現八戸市)は初め当地に勧請されたといい,「邦内郷村志」に「右移櫛引八幡。八月十四日・十六日,有流鏑馬,三戸給士勤之。御名代県令勤之,警固也。是云元三戸八幡」とあるところから,当社と櫛引八幡宮との間にかかわりのあったことが知られる。流鏑馬が行われた神事では藩主の代参が派遣され,三戸代官が警固にあたった(御目付書御定目)。祭礼後は藩主に神酒・枝大豆・昆布を献上することになっていた(御領分社堂)。明治維新後村社に列格,現在に至る。境内の西の山腹に南部氏のものと伝える宝篋印塔2基がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012407