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八幡宮
【はちまんぐう】


八戸市河原木にある神社。旧村社。祭神は応神天皇。高館段丘の南斜面に位置し,所在地の字名にちなみ「小田の八幡さま」と呼ばれることが多い。古くは毘沙門堂と称したが,明治維新の神仏分離で毘沙門天像を排して現社名となった。天喜年間源頼義が当地方を平定した時,当社の北西方の台地上に高館を築き,その鎮守として創祀した。その後源義経が平泉から逃れて蝦夷に渡る途中,ここに立ち寄り持っていた八幡宮本尊を毘沙門の腹籠りに安置し,それ以来毘沙門堂と称するようになったという(国誌)。現在「大胆那新田名跡九代六郎 天文廿二年丑六月」「願主新田名跡左馬助正景 慶長十五年庚戌九月吉日」と記された2枚の棟札が保存されており,根城南部氏の重臣新田氏にかかわりのあることを示している。「雑書」寛永21年9月条によると,1日・2日・9日に毘沙門堂が鳴動し,通常南面しているご神体が西を向いてしまったという。寛文5年の無量院御立願状にも「〈小田ノ〉毘沙門」と見え,戸張1流が奉納されている(常泉院文書/八戸市)。八戸藩成立後は藩主らに崇敬され,享保10年10月からは藩の代参が定期的に参詣するようになった(八戸藩御用人所日記/八戸市史)。また藩からは別当の徳城寺に掃除料として20石が給され,貞享年間以降半減したものの,正徳4年11月にはこのほかに御供料が永代供えとされた(八戸藩日記)。貞享2年2代藩主南部直政が造営し(棟札),享保17年徳城寺の本寺豊山寺の願により4代藩主広信が再建(八戸祠佐嘉志写,八戸市図書館蔵),以後寛政6年・文政元年などに遷宮が行われたという。古くは正月17日と3月3日に祭礼が行われた(宝暦9年八戸廻神社書上帳,八戸市立図書館蔵)。徳城寺は小田村にあって小田山と号したが(寛保4年諸寺院寺号山号帳,八戸市立図書館蔵),明治維新で廃寺となった。明治維新後村社に列格。境内南入口に嘉永7年建立の八脚門型式の仁王門(市文化財)があり,両脇には左右大臣が安置されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012408