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八幡宮
【はちまんぐう】


下北郡脇野沢村脇野沢にある神社。旧村社。祭神は誉田別命。明治初年の神仏分離令が出るまでは旧号を岩清水千手観世音社と称し,千手観世音を本地仏として祭神に祀る神仏習合の社堂であった。旧祭神の観音像は同村の悦心院に写されている。神仏分離令によって現社名に改め,八幡大神を祭神としたものの当初は神体もなく,明治15年になって角屋松村藤次郎が応神天皇像を求めて加賀金石港より順栄丸で運び寄進,同21年本殿を建立して遷宮されている。「下北半島史」では寛永元年,「国誌」では同13年の勧請とある。当社蔵天保15年の社堂建立世代書上扣に当社名と並んで春日大明神の記載がある。伝承によれば藤原藤房の臣下春日少将源顕信が藤房の草庵のあったという現社地に春日山藤房院顕信寺を建立したという。社殿は弘化2年に再建,昭和17年に現在の社殿が再建されている。石鳥居は安政5年角屋藤次郎の寄進で,加賀でつくらせ銭屋共八郎の船で運んだといわれ,社殿脇の水漱盤は天保9年加州石工浅野権右衛門の作で,寄進者西田四郎兵衛,能登屋与左衛門,世話人加州宮越菓子屋太兵衛の銘がある。御神灯碑は文化3年徳宝丸与治右衛門,松右衛門ならびに同船中一同の寄進。これらは幕末北前船で活躍した商人たちが航海の安全を願って寄進したものである。当社後ろの小山を静海山,または観音山と称し,脇野沢村の代表的伝説である田村麻呂伝説と結びつけて旧祭神であった観音像の縁起を述べた「静海山碑文」がある。祭礼は観音社であった頃は旧7月16日・17日,八幡宮になって以後は旧7月14日・15日に改められた。現在は正月の元旦祭,5月15日の春祭り,11月23日の秋祭りと毎月15日の月次祭のほか,夏の祭典が8月15~17日まで行われる。境内は広く,日和山チョコマン稲荷神社,熊野権現堂,照輝堂,神明宮,護摩堂がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012411