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百沢街道
【ひゃくざわかいどう】


弘前と百沢(岩木町)を結ぶ街道。弘前から駒越―熊島―高屋―五代―宮地―新法師(以上岩木町)を経て百沢へ至るが,さらに枯木平(岩木町)から松代(まつたい)(鰺ケ沢(あじがさわ)町)へも道は続いていた。現在の主要地方道弘前岳鰺ケ沢線のうち弘前―百沢―岳間の路線にほぼ相当する。街道の名称は目的地名にちなむ。「要記秘鑑」の文化6年2月19日の条に百沢街道とみえる。そのほか,賀田(よした)道,高岡街道とも呼ばれた。「慶安2年道筋帳」には,西根小道(にしねこみち)とあり,弘前―駒越―高屋―葛原(くずわら)―百沢―岳之湯本(以上岩木町)までの距離を5里10町としている。このうち,弘前~百沢間は2里28町である。承応2年の「津軽領道程帳」では,弘前~百沢間は2里18町となっており,道幅は3間の所もあるが,2間半が標準となっていた。元禄7年の御国中道程之図では,弘前~五代間の記載はないが,五代から松代までは5里23町24間,弘前から松代までは7里3町33間とある。弘前と駒越の間の岩木川には渡し場があり,「慶安2年道筋帳」には,広さ32間,深さ2尺4~5寸,徒渡り,水増には舟渡し,大水の時には船でも不自由するとみえる。「津可呂乃奥」によれば,寛政8年3月1日に菅江真澄は,将棋の駒の形をした舟を,綱で引いて渡船としている光景を記している。文政4年の御郡中道法并駄賃御定帳によれば,弘前~百沢間は本荷夏64文・冬83文,軽尻夏43文・冬56文,歩行夫夏32文・冬42文,百沢~岩木湯元間は本荷夏63文・冬82文,軽尻夏42文・冬55文,歩行夫夏32文・冬42文とある。この岩木湯元は現在の岳温泉のことである。当街道は弘前藩総鎮守である百沢の下居宮(現岩木山神社)への参詣道として発達した。藩主や代参を命じられた藩士たちが通行し,街道沿いには弘前藩祖為信の廟所である革秀寺,領内真言五山の1つ橋雲寺があった。正徳2年4代藩主信政を祀る高岡霊社(現高照神社)が創建されると,これらの寺社への参詣道としてもますます重要視された。現在も,新法師から百沢方面と高照神社方面へ向かう道筋には松並木が残り,昔の面影を伝えている。また,延宝8年に4代藩主信政によって開かれたという常盤野(ときわの)(岩木町)の岳温泉があり,藩主や藩士が入湯のためにこの街道を利用した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012550