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深浦
【ふかうら】


旧国名:陸奥

吹浦とも書き,安東浦(藤崎系図),西浦(地名辞書),海浦(深浦沿革誌)ともいう。海岸沿いに形成された深浦台地上に発達し,東と南は白神山地に続き,西は日本海に面する。地名は,入江が深く天然の良港であったことに由来すると推定される。深浦字岡崎にある日和見山遺跡は縄文中・後・晩期の土器・石器を出土。同字元深浦の公孫樹の森遺跡は縄文後期の土器片・石槍・石斧を出土。同字吾妻沢の六将(所)の森遺跡も縄文後期の土器片・石槍・石斧などを出土する。同字寅平にある寅平遺跡は,町の中心街を見下ろす標高約25mの海岸段丘上と,その斜面に営まれた縄文前期後半の遺跡である。円筒下層b式土器・石器の出土も多く,岩偶も発見された。深浦の港は古くから蝦夷地と日本海沿岸・瀬戸内海方面とを結ぶ北国海運の寄港地であった。「日本書紀」斉明天皇4年4月の条に「安倍臣〈闕名〉率船師一百八十艘,伐蝦夷……定渟代・津軽,二郡々領,遂於有間浜,召聚渡嶋蝦夷等,大饗而帰」とみえる。有間浜は十三(じゆうさん)(現市浦(しうら)村)付近が妥当とされるが,小泊(現小泊村)付近・善知鳥(うとう)(現青森市)付近のほかに深浦の吾妻浜に比定する説がある。中世では安東氏が十三(とさ)湊を根拠地として,日本海上で活躍した。文明年間のものとされる「廻船式目」には深浦湊は入っていないが,室町中期,ないしは初期を下らない本県最古のものとされる円覚寺薬師堂の厨子(昭和29年国重文指定)の存在や港の周辺に以下のような館跡が存在することから深浦湊は天然の良港で寄港地として重要であったことが推定できる。深浦字吾妻沢にある吾妻館跡(別称伏見城)は吾妻川左岸の丘陵上に位置し,館跡付近の六将の森に安東氏関係のものと思われる板碑が3基確認され,昭和49年町史跡に指定された。深浦字尾上山に深浦尾上山大館跡があり,とくに安東氏に利用されたと思われる。同字岡町に無為館跡があり,沿革不詳。字元深浦にある深浦館跡(別称元城)は,中山峠越えの岩崎街道を眼下に,北へ伸びる舌状台地を利用したもので,東に六角沢,西に亡ノ沢がある要害の地に位置する。安東氏・葛西頼清・千葉禅正へと館主がかわったという(津軽諸城の研究)。築城時期は室町期後半とも考えられ(青森県の中世城館),昭和49年町史跡に指定。深浦字岡崎にある日和見城(別称吹浦城)跡は,円覚寺の西方の独立丘陵上に位置し,同49年町史跡に指定された。
吹浦(中世)】 戦国期に見える地名。
深浦村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
深浦村(近代)】 明治22年~大正15年の西津軽郡の自治体名。
深浦町(近代)】 大正15年~現在の西津軽郡の自治体名。
深浦(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012698