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真清田神社
【ますみだじんじゃ】


三戸郡田子(たつこ)町田子にある神社。旧郷社。祭神は高照姫命。古くは十一面観音堂と称した。国道104号(秋田街道)近くの舌状台地の中腹に所在する。社伝によると,大同2年坂上田村麻呂が創祀したという。「雑書」明暦2年正月12日条に,慶長11年以来別当持地年貢米の内から毎年2駄ずつ寄進されていたと記される。別当は金竜山清水寺と号した吉之房で,吉野坊・吉野院などとも称して世襲した。初代盛岡藩主南部信直が田子館在住の時造営したと伝え,慶長11年には2代藩主利直が再建したという。正保3年にも,田子を霞場として大法院の初代で修験の不動院が本願となって,再建が行われている(棟札)。代々の藩主の崇敬を受け,また将軍派遣の巡見使通行の際には参詣されるのが通例であった(三戸通神社仏閣地名書上帳)。そのため修復や遷宮上棟などの経費は,代官から上申して藩費で賄われた(天明8年の再建棟札)。修復・再建にあたっては当所大工の外に盛岡の大工が派遣され,正保3年の再建の時には,大工223人,鍛冶18人,葺大工15人,人足418人,牛馬267疋が動員されている(棟札)。宝暦年間頃の御領分社堂には「一〈三戸御代官所田子村〉 十一面観音堂」とある。「奥州南部糠部順礼次第全」には「清水寺十一面観音堂舎」と見え,糠部三十三観音第26番札所である。嘉永3年7月17日には開帳が行われている(万日記,県立図書館蔵)。明治維新の神仏分離で祭神を高照姫命とし,現社名に改称した。明治6年郷社に列格。観音像は一時別当の私宅に移され,のち近くの耕田寺に安置された(国誌)。その後明治19年に観音平に新造の堂に移転。大正12年になって前立の3体(弥陀・薬師・毘沙門)とともに,当社に奉還した。十一面観音像は木造の一木造り,等身大よりやや大きい立像で,平安期の作といわれる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012937