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松前街道
【まつまえかいどう】


油川(青森市)と三厩(みんまや)を結ぶ街道。千住(東京都)から三厩に至る奥州街道の一部をなし,松前(北海道)への経路に当たることから松前街道・松前道と称され,上磯街道とも呼ばれた。油川から陸奥湾沿いに北上し,蟹田―平館(たいらだて)―今別を経て三厩に達する。現在の国道260号の路線にほぼ相当する。「慶安2年道筋帳」には磯辺道とみえ,舞戸(鰺ケ沢(あじがさわ)町)から十三(市浦(しうら)村)―小泊―竜飛(たつぴ)崎(三厩村)―三厩―今別―野田(平館村)―蓬田―油川に至る道筋がある。承応2年の「津軽領道程帳」には浜道として鰺ケ沢から小泊までと,油川から竜飛崎までの道筋が記される。また,延宝9年の領内道程駄賃定には,弘前―浪岡―新城(青森市)―油川―蟹田―今別,および油川―青持―小湊(平内(ひらない)町)の街道を外ケ浜通と記す。松前街道は,延宝4年頃から松前藩の参勤交代路として利用され(県歴史の道調査報告書),宝永7年からは幕府巡見使も三厩から松前へ渡航している(国日記)。江戸後期から幕末にかけて,蝦夷地警備のため,松前街道を経て三厩から渡航する幕吏・藩兵の数が増加,街道の重要性が高まった。「慶安2年道筋帳」によれば,油川から三厩間は13里。油川・内真部(うちまんべ)川・後潟川・今別川には橋があり,中師(ちゆうし)川(蟹田川)は船渡り,野田川・よま内川は徒渡りとある。油川~野田間および,今別~三厩間の通行は比較的容易であったが,野田~今別間には,大泊坂・ほろつき坂・赤根沢坂の難所があり,積雪期の馬の通行は困難であった。大泊坂の道幅は1間,ほろつき坂は5尺,赤根沢坂は1間であった。承応2年の「津軽領道程帳」には,野田~中師間は「道壱間弐間ノ所も御座候,石砂浜ハ不及記」とあり,また中師~油川間は「道者砂浜故不及記」とあり,道幅は1間から2間の所もあるが,多くは海岸沿いの砂浜が利用された。現在,この区間の一部は海岸浸食により失われている(県歴史の道調査報告書)。「県租税誌」によれば,蟹田・平館・今別・三厩に人夫10人・馬3疋が常備されていた。文久4年の御領分中道程駄賃定によれば,油川~蓬田間3里19町8間2尺,本荷夏85文・冬112文,軽尻夏57文・冬74文,歩行夫夏43文・冬56文とある。明治期に入り,北海道への渡航地が青森に移ったことにより次第に衰退した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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