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大豆坂通
【まめさかどおり】


羽州街道の浪岡と青森を結ぶ街道。浪岡から五本松―王余魚沢(かれいざわ)(以上浪岡町)―高田―荒川―浜田(以上青森市)を経て青森で奥州街道と合流する。現在の主要地方青森浪岡線の路線にほぼ相当する。街道名は高陣場山から高田への途中にある大豆之坂に由来する。「慶安2年道筋帳」によれば,浪岡―高田―荒川までは小道,荒川から青森までは脇道とある。浪岡から青森までの距離は4里35町で,浪岡から高田までの間に,かるい坂120間,高陣場坂128間,大豆之坂378間の3つの坂があり,道幅はいずれも1間であった。難所のため積雪期には馬の通行はできなかった。元禄7年の御国中道程之図には,大豆坂海道の距離は6里16町23間とある。浪岡から青森へ行く場合,羽州海道を通り油川(青森市)を経由して行くよりも,大豆坂通を通行した方が,約20丁近いといわれた。また,羽州街道を鯖石(さばいし)(大鰐町)の追分から乳井通に入り,大豆坂通を通って青森へ出る場合は,羽州街道を通行する場合よりも1里半短縮され,旅人にとって便利であった。天保8年の御郡内所々街道駄賃御定によれば,浪岡~高田間は本荷夏169文・冬220文,軽尻夏113文・冬130文(ママ),歩行夫夏85文・冬110文,高田~青森間は本荷夏60文・冬78文,軽尻夏40文・冬52文,歩行夫夏30文・冬39文とある。弘前藩4代藩主信政は郡内4社を制定し,以後藩では天候不順になると4社における日和揚げ・五穀成就の祈祷を,弘前八幡宮神主小野若狭,下居宮(現岩木山神社)神主阿部播磨に命じている。4社のうちの五本松の加茂明神と野内(のない)(青森市)の貴船明神への祈祷の往来に,両神主は大豆坂通を通行しており,この街道は四社祈祷のための道でもあった。江戸後期,異国船の日本近海出没に伴い,蝦夷地警備が幕命により弘前藩にも課せられるようになると,歴代藩主は外ケ浜巡視を行い,当街道を利用して青森へ出た。明治元年の戊辰戦争に際しては,官軍の箱館府知事清水谷公考が五稜郭の戦の難を逃れて青森へ着船し,蓮心寺へ本陣を置いた後,大豆坂通を通って浪岡の玄徳寺へ移っており,五稜郭の戦のために多くの兵士の往来する道として当街道は利用されたが,明治3年羽州街道の新城から沖館(青森市)を通って青森へ入る道が作られると,利用価値は低下した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012987