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三島神社
【みしまじんじゃ】


八戸市白銀町にある神社。旧村社。祭神は市杵島姫命・多岐理毘売命・多岐都比売命。段丘崖の上に所在し,埋立て以前は白銀浜を眼下に見る景勝地だった。創祀年代は未詳だが,五郎兵衛という漁師が海中から3面の神鏡を得,これを祀ったのが起源という(国誌)。新田義貞が鎌倉攻めのため根城南部5代政長を招いた時,政長は当社に戦勝祈願して出征し,その後8代政光は新田政持に命じて甲州から大山祇神を勧請合祀したと伝える。「雑書」承応2年5月10日条に「所々御立願之事」として「三嶋明神」が見え,また寛文5年の無量院御立願状に「一,〈白金ノ〉三嶋明神 鷂絵納事」という条がある(常泉院文書/八戸市史)。天和2年2月白金浦へ長さ3尋ほどのマッコウクジラが寄り,その払下げ代金12両のうち1両が初尾として献じられた(八戸藩日記/八戸市史)。八戸祠佐嘉志写(八戸市立図書館蔵)によれば元禄年間の棟札2枚があり,また宝暦5年の堂林寺門間数改書上帳によると,白銀村中によって享保3年に堂が建立されている(堂泉院文書/八戸市史)。別当は大蔵坊(同前)。江戸期,漁神・産土神として広く信仰され,漁乞の祈祷が藩命または漁民の願い出によりしばしば行われた(八戸藩日記・八戸藩勘定所日記/八戸市史)。また,明和6年5月には堂の修理費の補助として藩から30貫文が支給されたこともある(八戸藩日記)。八戸藩2代藩主南部直政が本殿を建立し,3代藩主通信が拝殿・鞘殿を建立したと伝える。遠野南部家の先祖が当社へ立願し,成就したため根城時代から毎年根城南部氏祈願寺の東善寺(豊山寺とも,廃寺)が,当社の巻数を差上げるのが例になったという(遠野古事記/南部叢書4)。明治維新後村社に列格。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7013012