八幡
【やわた】

旧国名:陸奥
馬淵(まべち)川下流右岸に位置し,中央を三戸街道が走る。地内字館ノ下の八幡貝塚遺跡からは縄文晩期の土器・石器などが出土。地内のほぼ中心部には南部一宮と称される櫛引八幡宮があり,多数の文化財を所蔵。根城南部氏時代には一族の祈願所として,また盛岡藩領時代になってからも藩の総鎮守として君臨した。同社所蔵の国宝に赤糸威鎧 兜大袖付(附唐櫃),白糸威褄取鎧 兜大袖付(附唐櫃)の2点,国の重要文化財に紫糸威肩白浅黄鎧 兜・大袖付,唐櫃入白糸威肩紅胴丸 兜・大袖付,兜 浅黄威肩赤大袖二枚付の3点がある。天明8年に当社を訪れた古川古松軒は「宝物の数かずありて真物のよきものばかり揃いし所は,江戸を出でしより当八幡宮の宝物第一にて,世にめずらしき物を一見せしことなり」と,その著「東遊雑記」に記している。
【八幡村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【八幡(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7013289 |





