衣曽別島
【いそべつしま】

旧国名:陸奥
(古代)平安期に見える地名。平安後期,北奥方面の蝦夷の住地をさす。応徳3年正月23日付の前陸奥守源頼俊申文(平遺4652)に「特に天恩を蒙り,先朝の綸旨に任せ,衣曽別島の荒夷并びに閉伊七村の山徒討随に依り,讃岐国の闕に拝任せんと請う」とある。「閉伊七村」は閉伊地方の蝦夷村のこととして特定することができるが,「衣曽別島」は,これを,岩手・青森方面において特定しがたい。この「荒夷」のことは,延久3年5月5日付の弁官下文にも見えていて,このことばの用法からして,閉伊(へい)よりもさらに奥で,しかも閉伊と並ぶような地域の大称と考えられる。そのことから,普通ならこのことばはアイヌ語系の北奥の地名と考えたいところであるが,ここは,「エゾ別島」のことで,蝦夷渡島(北海道)のことをさしたかとも考えられる。「今昔物語」31巻11語には,前九年の役に,安倍頼時が,追討の難を避けて「陸奥の国の奥の夷」の国に渡った物語があり,頼時は,その夷と同心のために,源氏から攻められたように,物語は構成されている。そんなことから,前九年の役後も安倍の残敵掃討のために,蝦夷島の荒夷が南下するのを平定するというようなこともあったと思われ,ここの「衣曽別島」はその蝦夷島の意味ではないかとも思われる。「朝野群載」康平7年3月29日付太政官符によれば,小松柵に敗れた黒沢尻正任は,一旦,出羽国にのがれ,さらにここから「狄地」にのがれ入ったとあり,この「狄地」は「蝦夷島」とも考えられるから,「蝦夷島」のエゾとの出入りが,頼義の後任国司の頼俊の時にも持ち越されていたことは,十分ありうるのである。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7013605 |