大釜
【おおがま】

旧国名:陸奥
北上盆地の北部西縁。東流する雫石(しずくいし)川北岸の沖積地と河岸段丘上に位置し,西南部は雫石盆地との境をなす狭窄部である。地名の由来は,前九年の役で源義家が大釜を据えて兵糧を炊いたことによると伝える(奥南旧記)。「吾妻鏡」文治5年9月条に見える「傔仗次之波気」の館は,当地内細谷の高波気に擬定されている。文治奥州合戦後,工藤小次郎行光は厨川(くりやがわ)において,恩賞として岩手郡を給せられ(吾妻鏡),当地も工藤氏の領地となったと考えられる。雫石川対岸の太田郷とは,中瀬で渡河でき,ここを押さえる大釜館は要衝である。
【大釜(中世)】 戦国武士大釜氏の本拠地。
【大釜村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【大釜(近代)】 明治22年~現在の滝沢村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7013839 |





