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於呂閉志胆沢川神社
【おろへしいさわがわじんじゃ】


胆沢郡胆沢町若柳字下堰袋にある神社。式内社の於呂閉志神社(旧所在地は旧若柳村下嵐江(おろしえ)。祭神は神八井耳命(かみやいみみのみこと)・天津彦火瓊々杵命(あまつひこほのににぎのみこと)・大名持命(おおなむちのみこと),ほか3柱配祀)と,同じく式内社胆沢川神社(旧所在地は旧若柳村の胆沢川辺り。祭神は沢女命(さわめのみこと)・水速女命(みずはやめのみこと),ほか3柱配祀)とを明治40年現在地に合祀した神社。創建年代・沿革は共に未詳。於呂閉志神社の奥宮は石淵の猿岩山(比高約170mで,北面が断崖)の山頂にあり,社伝では延暦20年坂上田村麻呂の勧請と伝える。近世に至るまで来歴は全く不明で,「封内名蹟志」に於呂閉志神社猿山大明神,「封内風土記」に同名および猿山鹿島神社,「安永風土記」に猿山神社として登載。明治初年に於呂閉志神社と改称し,旧若柳村土橋に遥拝所が設けられ,同4年村社に列せられた。一方,胆沢川神社は鎮座場所も不明で,「安永風土記」にいう江戸中期の洪水で社地が欠崩した旧若柳村横枕の横枕明神社跡説が有力。社伝では大同2年の創始と伝え,郷民が胆沢川を分水して灌漑し開田した時,沢女の神璽を水源に鎮祭したのが始まりという(日本の神々)。明治初年頃於呂閉志神社遥拝所脇に再建した。於呂閉志神社の例祭は4月29日(もと旧暦4月19日)で,参拝者は猿岩山のサルイワツバキの小枝とクマザサを持ち帰り,初田植えに作神の護符とともに竹に挟んで,虫除けのまじないとして水口に立てる。また胆沢川神社の例祭は9月12日(もと旧暦8月12日)で,馬祭りといわれる。なお,於呂閉志神社の「おろへし」は「おろしえ」を誤まったもの,と考えられているが,これは逆であろう。「おろしえ」が「おろへし」をなまったのである。「へし」はアイヌ語で川を意味するペツ(別)の音字で,「おろへし」は,アイヌ語もしくはこれに近い蝦夷語に基づく地主神名だからである。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7014054