鍛冶町
【かじちょう】

旧国名:陸奥
(近世~近代)江戸期~昭和38年の町名。江戸期は盛岡城下の一町。町人地。城東地区に属し,中津川左岸に位置する。町名の由来は,当地が鍛冶職人の居住地であったことによる。盛岡藩が幕府に届け出た盛岡二十三町の1つ。天明8年の家数41・人数414(邦内郷村志)。町の規模は2町半程,延宝9年に市日が毎月10・20日と晦日と定められた(盛岡砂子)。当町には盛岡藩一里塚の元標があり,盛岡から四方への里程の起点となっている。刀鍛冶や鉄砲鍛冶のほかに農具を造る野鍛冶が住んでいたという。明治8年の戸数104(盛岡市史)。明治4年志家村の字名,同22年盛岡市志家の字名,昭和20年からは盛岡市の町名となる。なお,当町の裏通りを鍛冶町裏とも称したが,人口統計などは,すべて鍛冶町に含まれていた。同26年の世帯数132・人口645(男313・女332)。同38年紺屋町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7014086 |





