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鹿角街道
【かづのかいどう】


津軽街道ともいう。盛岡から津軽への直道。岩手郡滝沢村茨島を起点に,大更―平館―松尾―荒沢―田山―兄畑を経て秋田県鹿角市花輪に至る街道。本県分は16里7町の道程。現在の国道282号とほぼ同じルート。道中の七時雨山越えは,「三代実録」元慶2年の項にある流霞道で,秋田城に至る平安期の重要な交通路。梨子木峠越えは,米代川の谷間沿いの難所として有名。慶長年間以降盛岡藩領鹿角地方の産金が多くなって,当街道の整備が行われた。道中の田山地内の折壁御番所は,夏坂御番所(三戸通)・小繋御番所(福岡通)・更木御番所(黒沢尻通)とともに盛岡藩の領内通行物留改め,人改めを本務とする中番所の1つ。道筋の並木の整備は,安政4年,鹿角街道並木植立奉行が任命されてから本格化し,6か年を要して完成。しかしその維持は岩手山麓の厳しい自然条件のもと,なかなか容易ではなかった。高山彦九郎の「北行日記」は,厨川茨島から滝沢の字一本木の並木が飢饉の時に残らず切り取られ,冬に旅人の通行を困難にしているため,地元民が藩から小松3,600本の下付を受けてその復元に努力していると紹介している。天和年間の「邦内貢賦記」では,鹿角街道として盛岡~田頭間6里25町6間,田頭~寺田間2里11町40間,寺田~曲田間4里24町40間,曲田~田山間2里16町40間,田山~湯瀬間3里14町3間とある(以下秋田県分は略)。文政13年写の「御国中賃銭割付」によれば,津軽街道筋の各宿駅間の距離と駄賃銭は盛岡~田頭間が6里25町,本荷(本馬)251文・無荷(軽尻)166文・人足126文,田頭~寺田間が2里11町,本荷84文・無荷56文・人足42文,寺田~新谷町間が4里11町,本荷168文・無荷113文・人足82文,新谷町~田山間が2里29町,本荷106文・無荷68文・人足51文,田山~湯瀬間が3里14町,本荷131文・無荷85文・人足64文(県史5)。明治期になってからは津軽街道と呼び,現在に至る。なお,現在の鹿角街道は安代町曲田から浄法寺を経由して二戸市福岡へ至る道を呼び,江戸期の鹿角街道とは異なる。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7014121