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九年橋
【くねんばし】


北上市街南側の和賀川に架かる橋。昭和50年認定の県道相去飯豊線が通過。北上市九年橋1丁目と同市鬼柳町下鬼柳第4地割を結ぶ。昭和8年竣工。橋長334m,幅員5.5m。単純鋼桁橋。昭和40年下流側に幅1mの歩道橋を架設。当初の橋は明治9年5月25日着工,同年6月28日完成。土造で奥州街道(現国道4号)が通っていた。橋長1町24間,幅員4間,経費1,604円11銭。「管轄地誌」には「県令島氏が高低を測り水の緩急を考え令を発して大橋を架す」,また,明治天皇の「奥羽御巡幸明細日誌」第8号に「同年七月五日,鬼柳和賀郡にて,是より岩手県の管轄にて……少し行きて和賀川あり新たなる土橋を掛け……此月の1日に渡り初めをしたるよし。午前十時半黒沢尻へ御着輦にて,中島孫兵衛と云ふ酒造家にて御昼食を召させ玉ふ」,明治9年の「岩手県御巡幸録」には「光栄を記念する為めその後の架設は幾度か行はれたるも終始九年橋の名を以て呼ばれて居る」などと見える。橋銭を徴収していたが,天皇一行も下賜された。明治17年12月架設の九年橋も県費1万4,768円を支出。長さ90間,幅18尺の木橋であった。架橋以前は和賀川船渡である。寛政11年以後の参勤交代には盛岡藩主が,藩船を黒沢尻河岸より廻送して往来した。昭和49年1km上流に北上バイパス(和賀大橋)が完成して交通緩和が図られた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7014407