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駒形神社
【こまがたじんじゃ】


水沢市中上野にある神社。式内社胆沢(いさわ)郡七座の1つ。旧国幣小社。祭神は大日孁尊(おおひるめのみこと)・天常立尊(あめのとこたちのみこと)・国狭土尊(くにのさづちのみこと)・吾勝尊(あがかつのみこと)・置瀬尊(おきせのみこと)・彦火尊(ひこほのみこと)の6柱。胆沢・和賀の郡境,駒ケ岳(1,130m)の山頂に駒形大明神を奉斎して奥宮とし,東麓の胆沢郡金ケ崎町西根の雛子沢(ひなこざわ)と現在の北上市和賀町煤孫(のちに岩崎に移す)に里宮を設けていたが,明治4年国幣小社に列せられるに及び,現在地の旧胆沢郡塩釜村の塩釜神社に仮遥拝所を置き,同7年同所に社殿を造営して遥拝所とし,さらに同36年山上の奥宮より神霊を遷して本社としたのが当社。奥宮の創始来歴は未詳だが,社伝では景行天皇40年日本武尊が東夷平鎮のため6神を勧請したのが始まりとも,延暦年間坂上田村麻呂が蝦夷征討の際,愛馬の霊を弔って,自らの兜に納めてあった8体の護持仏のうち1体を祀ったのに由来するともいい,また嘉祥3年慈覚大師が和賀郡煤孫の駒形神を駒ケ岳の山頂に移し祀ったとも伝承される。一説では毛野(けぬ)氏が氏神を祀ったともいう。仁寿元年正五位下を授けられ(文徳実録),貞観4年従四位下に昇叙された(三代実録)。その後,源義家の戦勝祈願伝承などあるが,中世以降は陸中一の宮として武家・領主の崇敬が篤く,天文年間柏山氏が社殿を造修している。また近世は仙台・盛岡両藩の藩境の起点とされ,両藩が半分ずつ社殿を修復しており,その紛争の歴史や改築の図面・様子などが延享4年の「従花巻夏油温泉迄一見記」に詳しい。なお和賀郡の里宮(現,北上市和賀町岩崎の駒形神社)は貞享3年・宝永4年・享保20年・延享3年・安永6年・文化9年・天保12年などの奥宮改築の棟札を所蔵する。例祭は9月19日で,第2次大戦前までは騎馬の奉幣使を中心に延々4~5丁も続く神輿渡御の盛儀が見られた。5月3日は神霊を本社に奉遷した記念祭で,5年ごとに胆沢郡の里宮(現,金ケ崎町西根の駒形神社)から本社まで神馬および神輿渡御が行われる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7014613