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紺屋町
【こんやちょう】


旧国名:陸奥

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は盛岡城下の一町。町人地。城東地区に属し,中津川左岸に位置する。町名の由来は,当地がはじめ染物職人の居住地とされたことによる。盛岡藩が幕府に届け出た盛岡二十三町の1つ。天明8年の家数71・人数662(邦内郷村志)。町の規模は3町程,市日は毎月晦日と5月3日(盛岡砂子)。染物では中津川の清流を利用した南部むらさきや南部あかねの技法が生まれ,これらは盛岡藩の優秀な物産となった。当地には城下の豪商が軒を並べるようになったが,特に寛延2年に店を持った近江商人鎚屋はやがて弘化4年頃には藩内第一の豪商となった。明治8年の戸数141(盛岡市史)。同10年第一国立銀行支店が県の為替業務を営む目的で開業。同18年北上廻漕株式会社が創立された。同社は鉄道開通前の乗客・貨物の輸送に重要な役割を果たした北上川水運を運営する会社で,同20年岩手県内の荷車733のうち40を有して貨物の集配にあてたといい,繁栄したが,同23年日本鉄道(現国鉄東北本線)の開通では大打撃を受けたと思われる(盛岡市史)。明治10年以後,中津川の上ノ橋と中ノ橋の中間に仮橋を架けて往来したが,同22年木橋に架け替えて,江戸期の当町の火消である「よノ字組」にちなんで「よの字橋」と名付けられた。明治4年志家村の字名,同22年盛岡市志家の字名,昭和20年からは盛岡市の町名となる。明治27年第一国立銀行支店が開店し,同29年から盛岡銀行が営業を開始した。同36年盛岡電灯株式会社が新設され,同38年から電灯が市内にともった。同社は名称を幾度か変更し,現在は東北電力となっている。世帯数・人口は昭和26年118・632(男282・女350),同45年252・827(男362・女465)。昭和38年一部が中ノ橋通1丁目となり,同時に内加賀野の一部と鍛冶町を編入して地内を再編成。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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