崎山
【さきやま】

旧国名:陸奥
東は太平洋に面し,女遊戸(おなつぺ)川流域に位置する。半農半漁の地で「県郷土誌」には「概ね山地を成す,東沿岸も山脚直ちに迫り海崖をなす所多し」と見える。地名の由来は,山丘の端が海辺に突き出た所の意(三陸海岸の地名)。日出島の中生代白亜紀層(7,000年~1億年前)からアンモナイト(巻貝化石)が発見されたことから,この地層を地質学では宮古群崎山層と呼ぶ。縄文各期の遺跡も多く女遊戸(包含地・土器),崎山(貝塚・集落跡・土器大木7a~b・8a~b),大付(貝塚・集落・土器・石器・人骨),石塔前(包含地・土器)などがある。鎌倉期豆州より奥州津軽郡に航する一条信濃守右衛門五郎忠朝の船が,女詰(女遊戸)に漂着。崎山館に居住したと伝える(県町村誌)。
【崎山村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【崎山村(近代)】 明治22年~昭和30年の自治体名。
【崎山(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7014683 |