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三十軒
【さんじっけん】


(近代)昭和20~40年の盛岡市の町名。もとは盛岡市下厨川(しもくりやがわ)字三十軒。江戸期は下厨川村の字名で,雫石(しずくいし)街道沿いにつくられた盛岡城下足軽組町の1つである新出町の東裏にあたり,三十間とも記した。地名は,家が30軒あったことにちなむという。東部を国鉄東北本線のほか,大正10年国鉄橋場線(現田沢湖線),同12年国鉄山田線が開通した。これらの各線が分岐する下田(現新田町)の新田町踏切と盛岡鉄道管理局盛岡工場北側の工場踏切は「開かずの踏切」となった。秋田街道(現主要地方道盛岡横手線)に沿った商店街を新田町と称し,商店・飲食店が多く,裏通りは住宅地で銭湯がある。新田町通りに昭和35年街路灯がついた。当時の裏通りの地価は坪6,000~7,000円で,新興住宅地となっていた。同36年市内初の鉄筋コンクリート校舎の城西中学校が開校。同37年の住宅地図によれば,鉄道沿いに三十軒町と称する脇道が見える。国鉄線の東側が昭和39年盛岡駅前北通・盛岡駅前通,同40年夕顔瀬町,西側が同年新田町・城西町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7014756