中里
【なかさと】

旧国名:陸奥
磐井川の北方に広がる北部磐井丘陵,東端を南流する北上川沿いの沖積地に位置する。地名の由来は,古く「磐井里中津郷」と呼ばれたことによると伝えられる(宝暦風土記)。中津郷は中心郷の意味か。文治5年の伊達郡阿津賀志山合戦に軍功のあった小野寺氏が源頼朝から岩井郡中里村を賜ったという(一関市史1)が不明。寛甫山観自院は,慈覚大師法孫慈静和尚開基と伝える(同前4)。竜沢寺墓地に弘安4年の石塔婆がある(同前3)。竜沢寺の開基は不詳。永泉寺・中里小学校の裏山は中里城(阿部沢館・古館)の跡。館主は小野寺修理または佐藤紀伊守と伝える(安永風土記)。本丸・二の丸が分かれる連郭式山城。東西180m・南北150m,比高40mで段々畑となっている(仙台領古城館)。
【中里村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【中里村(近代)】 明治22年~昭和23年の西磐井郡の自治体名。
【中里(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7015533 |





