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野田街道
【のだかいどう】


盛岡と野田・宇部を結ぶ道路。当通路は2つあり,1つは盛岡から門―袰綿―岩泉―安家の駅場を通って宇部に向かう本野田街道と称されるもの,もう1つは沼宮内の北,尾呂部で奥州街道と分かれて葛巻―関―小国―木売内―下戸鎖の駅場を通って本野田街道と合流して宇部に向かう沼宮内廻野田道である。本野田街道は盛岡から岩泉までは小本街道と重複する。沼宮内廻野田道は,途中,八戸藩領を通っており,八戸藩では関御番所において他領出入物留と手形改め,盛岡藩では沼宮内で八戸藩に出入りする諸物資役その他の取立てを行っている。沼宮内廻野田道の沼宮内~葛巻間は道中の難所で,正保年間には志づか山越えが利用されているが,江戸後期には黒森峠越えが利用されている。また,同道は本野田街道とともに,野田地方で生産された塩が牛の背に積まれて盛岡近在や秋田の花輪・毛馬内地方へ運ばれたことで知られ,しばしば塩の道と呼ばれている。牛方は4~7頭の牛を一たずなとして引いた。1頭の牛には3斗入りの俵を2つ背負わせ,これを1駄といった。秋には1日60~70頭の牛が往来したという。道の要所には牛方宿や野宿場があった。南部牛方節には「江刈葛巻牛方の出どこ,いつも春出て秋もどる,よいもんだよ牛方の旅は,七日七夜の長の旅も」とある。文政13年写の「御国中賃銭割付」によれば,当街道の宿駅間の距離と駄賃銭は,野田~下戸渡間2里25町,本荷(本馬)84文・無荷(軽尻)56文・人足42文,海辺~安家間(距離は記載なし),本荷278文・無荷139文・人足104文,下戸渡~木売内間1里6町,本荷42文・無荷28文・人足21文,木売内~小国間1里15町,本荷52文・無荷35文・人足21文,小国~関間2里25町(駄賃銭の記載なし),関~葛巻間6里18町(同前),葛巻~沼宮内間6里18町,本荷242文・無荷160文・人足121文であった(県史5)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7015732