岩ケ崎
【いわがさき】

旧国名:陸奥
北に丘陵を背にし南を三迫(さんのはさま)川が東流する。地名の由来は定かでないが,当地方の地形・景観・地質・岩石の状態より生まれたものと推定される(宮城県地名考)。「吾妻鏡」文治5年8月7日条に文治合戦に奥州入りする鎌倉勢を防ぐために平泉藤原泰衡が栗原・三迫・黒岩口・一野辺を固めたとあるが,これらはすべて平泉の南を守る要衝で,黒岩口はその関門とみなされていた。この黒岩口が岩ケ崎の古称と考えられる。往古より,北は一の関・平泉(岩手県),南は真坂(一迫町)に通ずる街道が走り,近世上街道となされる街道の要駅であった。戦国期は葛西氏の家臣,富沢日向が鶴丸館(鶴舞城とも)の館主となり,当地方三迫高倉荘を支配した。町の東端に往古当地方が蒜香(ひるか)郷と称される由来になったといわれる蛭子(ひるこ)の祠がある。
【岩ケ崎村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【岩ケ崎町(近代)】 明治22年~昭和30年の栗原郡の自治体名。
【岩ケ崎(近代)】 昭和30年~現在の栗駒町の行政地名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7016794 |





