100辞書・辞典一括検索

JLogos

18

大崎八幡神社
【おおさきはちまんじんじゃ】


仙台市八幡4丁目にある神社名。遠八幡(とおはちまん)(仙台鹿の子・残月台本荒萩)・米沢八幡(残月台本荒萩)ともいう。遠八幡の名の由来は「残月台本荒萩」に「御城より乾(いぬい)に当りて,遠山なる故遠八幡宮と言う」と記されている。正式名大崎八幡神社は「大崎より移したまへば大崎八幡とも申し奉る」(仙台鹿の子)とされ,大崎氏の領分であった玉造(たまつくり)郡岩出山から遷座されたのでこの名がつけられたとされている。当神社の縁起について「仙台鹿の子」「残月台本荒萩」などの地誌は出羽国米沢の成島八幡宮が,岩出山を経て仙台に遷座したことのみ記すが,実際は,大崎氏が崇敬した八幡社であるところからこの名が生じこれに米沢以来の成島八幡が合祀されたものである(嚢塵埃捨録・封内風土記)。遠田(とおだ)郡八幡村の「通木山八幡寺書出」(宮城県史32)には,大永7年に伊沢郡(岩手県)八幡村より栗原郡小野城へ勧請,その後天文6年に遠田郡大嶺村に遷座して八幡村を分離させた旨の記事が見え,社伝も同じである。伊達氏の大崎領入部に際して,地域信仰とのつながりを求めて,政宗がこれを最初の城下町岩出山に移し,さらに仙台移徙に際して城下の西辺を固める意味もこめて,城下鎮護のかなめとして遷座したものと解される。慶長9年遷宮,社殿は棟梁梅村三十郎頼次以下,紀州にまで家臣を派遣して天下の名匠を集めて造営され,同12年8月完成。大崎八幡に,米沢以来の成島八幡を合祀し,成島八幡の別当寺であった真言宗恵沢山竜宝寺をその別当とした。社人は沼田出羽守・大場近江掾・石井下野掾・沼田杉本坊・蓮華坊・石井満徳院・佐藤中覚坊・大場坊・仙社坊と掃除番1人の10人。境内には放生池があり,旧暦8月15日には放生会が行われて,玉造郡岩出山から射手が出て流鏑馬(やぶさめ)も行われた。社殿は本殿と拝殿を石の間(合の間)で結ぶ権現造で,桃山建築の豪華絢爛たる趣をよく残し,京都北野神社と日光東照宮の間を結ぶ古式を伝えており,国宝に指定されている。内部の彫刻や絵画も多彩である。社殿の前面には素木造の長床があり,国指定の重要文化財となっている。例祭は9月14・15日であるが,1月14・15日のどんと祭(松焚祭)は正月の注連飾(しめざかり)の松納めの神事で,近郷からも参詣人を集め,裸参りもあって仙台を代表する祭礼となっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7016946