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大高山社
【おおたかやましゃ】


大鷹(おおたか)山(封内名跡志)とも,白鳥大明神(大高山神社縁起書)ともいう。式内社柴田郡名神大社と伝える。柴田郡大河原町にある神社名。同町の西方から大河原盆地に突出する丘陵先端に鎮座する。平安期から見える神社。日本武尊と橘豊日命(たちばなとよひみこと)(用明天皇)を合祀し敏達天皇元年に創建されたと伝えている。承和9年5月11日に従五位下(続日本後紀),貞観11年3月12日には従五位上を奉授されている(三代実録)。「永万元年神祇官諸社年貢注文」によると,大高山神社の年貢金を藤原清衡が代納していた(平遺3358)。また泰衡の弟泉三郎忠衡寄進と伝える鉄灯籠があるなど,藤原氏との因縁が深い(大高山神社縁起書・封内風土記)。また文治5年の奥州合戦に阿津賀志防衛戦に敗れた平泉方大将西木戸国衡が敗死したのもこの神社前においてである(吾妻鏡,文治5年8月10日)。元禄初期までは平(たいら)村の台ノ山に鎮座していたが焼失,元禄12年一段低い麓の新開の地に移して社殿を再建した。社地は東西40間・南北85間・社殿南向6坪・拝殿南向10坪・長床南向10坪(安永風土記)。正応6年銘の銅造鰐口は東北地方最古のものとして国指定文化財。ほかに元禄からの絵馬・額など20数点の貴重な文化財が残る。江戸期は柴田郡総鎮守として尊崇され,祭日の4月6日に金田(支倉(はせくら)村)の足軽が出動して警備に当たるのを恒例とした(安永風土記)。別当寺は真言宗大高山大林寺で別当は大鷹氏が世襲。明治元年の神仏分離令により大林寺は廃寺,明治5年郷社に列せられる。同39年勅令により供進使が参向することとなる(柴田郡誌)。大正4年社地を新開の尾鷹から金ケ瀬(かながせ)の神山に遷座。現在の本殿は元禄14年建築のもので,寛政の南蛮鉄鳥居とともに貴重な文化財となっている。境内面積7反3畝6歩。桜の名所。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7016979