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大橋
【おおはし】


はじめ仙台橋といった。広瀬川に架かる橋名。大橋通が通過,仙台城と城下町の筆頭大町を結ぶ。仙台城大手門の東方,大町との中間に位置する。枢要地であったため,仙台城の建設と同時に架橋され,慶長6年12月に完成した。最初の橋は,川島豊前景泰が奉行となって工匠与左衛門の手で作られた(奥陽名数)。橋につけられていた擬宝珠銘からはじめ仙台橋と称したことが知られる。なお,「仙台鹿の子」によると,この擬宝珠は寛永14年6月26日の大洪水で大橋流失の際,相馬に流れ着いたという。大正13年に南小泉桃源院東の畑からも発掘されている。以後もしばしば洪水によって流失した。板橋で,寛文・延宝絵図には太鼓橋状の反り橋に描かれている。位置は現在地よりやや上流にあって,昭和初年まで橋杭の一部が残っていた。正保絵図には幅5間半・長さ60間と記されているが,規模は時期によって多少の変動があった。仙台城大手前の橋であったため,城と城下町が直通しないように配慮されており,橋の東側には吹貫御門があって,これを囲むように紙蔵・肴蔵などが配置され,さらにその周囲には小人(こびと)(足軽)が多数軒を並べ,大町頭へ上る坂道も大きく屈折していた。橋の西側の川内地区には片倉小十郎以下伊達一門の重臣屋敷が連なっていた。明治には仙台城に鎮台・第二師団が置かれ,軍橋としての役割のために同25年鉄橋に架け替えられた。鉄道橋のような巨大なハウトラスを橋上に組み上げた武骨な姿で,仙台城と調和しなかったという。昭和13年鉄筋コンクリート橋に変えられ,現在に至った。和風の勾椚や灯籠で飾られて,青葉山と美しい調和を保っている。寛永元年2月22日,ポルトガル宣教師カルバリオおよび日本人切支丹8名が,当橋のたもと広瀬川のほとりで水責めの刑にあい殉教,昭和46年その殉教碑が建てられ,大手門脇の支倉常長顕彰碑と川をはさんで相対している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7017004