北川内
【きたかわうち】

旧国名:陸奥
宮崎川(田川)の支流烏(からす)川流域に位置する。地名の由来は宮崎川の北側に位置し,川に囲まれた山寄りの地であることによる(宮城県地名考)。「安永風土記」によれば,往古当地に「大日・薬師如来御立ち成され候故」如来堂村と称していたが,のち北方より川が流れていたので北川内と改称したという。奥地の大平地区には平家落人伝説がある。また地内の大日堂に残る棟札2枚に「護国山光明寺 笠原民部少輔兼国 施主尾形豊前守 永正拾八年三月朔日」「陸奥州賀美郡護国山光明寺建立 尾形河内守治助 大檀那笠原近江守正治 天文二十二年三月廿六日 大工佐竹常陸介 鍛冶左馬助」とある。その他,地内牧野館は牧野氏の居館,市道壇は矢倉定閑の塚と伝えている。このうち,笠原氏は戦国期,この方面の大崎家臣として存在が確かめられる。
【北川内村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【北川内(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7017430 |





