給分浜
【きゅうぶんはま】
旧国名:陸奥
牡鹿(おしか)半島の西岸。大原湾の南端に位置する。地名の由来についてはつまびらかではないが,給分というのは領主から給与された地または得分の意があるところから,往古ここに居住していた豪族が,その一部を割いて与えた土地ということからおこったと推定されている。後山遺跡・羽黒下遺跡・中沢遺跡から大木型式の縄文土器が多数出土している。また観音堂の境内から鎌倉期の板碑が10数基確認されている。
【給分浜(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【給分浜(近代)】 明治22年~現在の大字名。
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7017505 |