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熊野堂
【くまのどう】


旧国名:陸奥

名取川の南岸の丘陵地帯,東に一部平地がある。地名はこの地に古くから熊野本宮社と熊野新宮社があったことに由来する(安永風土記)。古墳時代末期の横穴古墳群があり,奈良~平安期の東海道(あずまかいどう)の名取川渡河地点があることが伝承されている(名取市史)。熊野本宮と新宮は名取市高館吉田(たかだてよしだ)の熊野那智神社を加えて熊野三山と称し,保安4年に名取郡前田(現在仙台市中田字前田)の一老女(名取の老女)が夢のお告げによって勧請したという伝説がある(安永風土記)。また佐藤左衛門尉藤原基衡の勧請とも伝える(名取郡誌)。文治5年源頼朝の奥州合戦の際に熊野別当が名取郡司らとともに平泉方に加わっている(吾妻鏡)。名取熊野新宮社は中世以来人々の信仰を集め,南北朝期から戦国期にかけて武将の寄進がしきりに行われた(名取熊野堂文書/宮城県史30)。江戸期には社領98石余の大社で,本殿は江戸初期の熊野造の様式を保つ県下唯一の古社といわれている。熊野堂別当新宮寺文殊堂には8~17世紀の年号を記した約2,000巻の写経が残されている。また当地付近には元応元年の古碑をはじめ名取市の紀年銘板碑96基のうち58基が集中している(名取市史)。名取郡古代・中世文化の中心地である。
熊野堂(中世)】 戦国期以降に見られる地名。
熊野堂村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
熊野堂(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7017541