不来内
【こずない】

旧国名:陸奥
「安永風土記」に「こぢない」とある。吉田川の南岸に位置する。地名は,アイヌ語のコツナイ,凹地とか谷間の沢という意味で,品井沼が北から入り込んでおり,その地形によるものと考えられる(宮城県地名考)。中世初期の地頭菅原氏の知行地大谷保泉田村は地内にあった(宮城県史30)。吉田川岸は近世末期まで品井沼の一部であった。勧請年不詳の泉田天神宮(明治42年飯綱権現に合祀),不来内屋敷深谷(しんや)権現(明治42年山崎熊野神社に合祀),天正2年開創(安永風土記では寛永年間)と伝える志田郡三本木町慈眼寺末寺の曹洞宗泉永寺がある(黒川郡誌)。南端の鷹場山には平泉藤原氏一族泉三郎の鷹狩りの場所という伝承があり,頂上に茸型露台を有する時代不詳の遺跡がある(宮城県遺跡地名表)。
【不来内村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【不来内(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7017677 |