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東照宮
【とうしょうぐう】


仙台市東照宮1丁目,宮町北隅にある神社名。2代藩主忠宗の時,慶安2年に幕府の許可を得て着工し,以前この地にあった小田原天神社を東に移して,承応3年3月落成,同年4月16日神輿を迎えて遷宮を行った。当地が選ばれた理由は,葛西大崎一揆平定のため徳川家康が天正末年に出陣した際,天神の社壇をその休息所としたからという(残月台本荒萩)。別当の天台宗眺海山康国寺仙岳院(比叡山延暦寺の末寺)が同時に創建された。仙岳院には塔頭の延命院・延寿院・宝蔵院の3か院があった。東照宮の社人は鈴木左太夫・杉田藤右衛門・北条義太夫・奥野喜六・松益坊・喜斎坊らの6人。東照宮の建立と同時に門前町宮町が真南に割り出され,南末は東六番丁に接した。門前町は102軒で,1軒につき500文ずつの田地が給付され,無年貢だったという(仙台鹿の子)。社殿は梅村彦作を大工棟梁として建立,本殿の周囲に透塀をめぐらし,中央に唐門を配し,前方に幣殿・拝殿を設けている。本殿は桁行3間・梁間2間で,外観・内装ともに贅美を凝らしている。拝殿・幣殿は昭和初年失火によって焼失したのを,同39年復興したもの。随身門はその前面,参道の石段を登りつめた所に建つ楼門形式の八脚門で,軒回りに複雑な構成を示し,重厚な趣がある。鳥居は備前国から石材を運んでつくられたという明神鳥居形で美しい。本殿・透塀・唐門・鳥居は国の重要文化財,随身門・手水舎は県の重要文化財に指定されている。9月17日の祭礼は,江戸期仙台を代表する祭りとして仙台祭と呼ばれ,「御城下十八町」がそれぞれ山鉾を出して妍を競った。「仙台鹿の子」にその有様を描いて「明暦元年九月十七日より御神事始まり,総町より色々の作物を大なる台にかざり御神輿の先にかつぎ出る,日本一番の御神事なり。明暦元年より中一年おきに三度総町より出る。四度目に当る年より総町三番に分れ,六町づつ作り物を出す。……神輿の御出行の道筋は,御門前町より清水小路・田町・染師町・北目町・柳町・南町・大町通・片平小路・立町・国分町・二日町・北一番丁なり」とし,さらに各町ごとの山鉾の種類をも示している。近世を通じて祭礼は続き,近郷より多くの見物客を迎えて,門前町宮町は大変なにぎわいを呈した。明治以後,仙台祭は東照宮を離れ,以後は招魂社祭の時に担ぎ出されるようになり,それも次第に衰えて伊達政宗をまつる青葉神社の祭礼にその座を譲る。かつては参道両側に巨大な老杉がそびえ,由緒ある社地の重みを感じさせていたが,今はない。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7018441