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名取老女宮
【なとりろうじょのみや】


名取市前田にその遺跡を残す古祠。名取市高館にある熊野社は陸奥熊野社を代表する名刹で平安末期にさかのぼる古社であるが,名取老女はその勧請者と伝えられる伝説上の人物。「新古今集」神祇歌に「道とほし程もはるかに隔たれり 思ひおこせよわれも忘れじ」のみちのく熊野信仰の起源を語る歌があるが,名取熊野神社縁起は,この歌を名取老女なる一熊野信者に結びつけ,老女をもって名取熊野三山勧請の人とする。すなわち,熊野信仰を続けていた名取郡の一老女は,老齢になって参詣ができなくなったので,鳥羽天皇の保安4年,熊野三山を名取川の南に建て,東を若王子,中を証誠殿,西を老女祠と呼び,さらに山頂に高館権現(那智山)をまつっていた。崇徳天皇保延年中,一人の山伏が平泉・松島に遊ばんとして熊野証誠殿に参籠したとき,夢に熊野神のことばあり,久しく見ない名取老女にこれを伝えよ,とあって,枕もとにナギの葉が1枚あり,「道とほし」の歌が書いてあった。山伏はこれを名取老女に伝えたとされており,これによれば,「道遠し」の歌は,参詣できなくなってみちのくにいる信者に,熊野が慰めのことばとして山伏に託して伝えたものになっている。謡曲にも「名取老女」があり,名取熊野社が,地元の一老女の信仰に出たものとする伝説はかなり古い。古く神通力を持った老巫女がおり,地元では,その老巫女の霊力を通して神威を仰いでいたために,老女も熊野と並ぶ神にあがめられたものと思われ,老女宮は熊野社の1社ともされているが,また別に独立した老女宮もあり,さらにその墓と伝えられるものも,市内下余田(しもよでん)にある。地元から生い育った信仰の一形態として注目される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7018629