元寺小路
【もとてらこうじ】

旧国名:陸奥
(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は仙台城下町の1つ。明治11年宮城県仙台区に所属。同22年からは仙台市の町名。「旧寺小路(もとてらこうじ)。東三番町より車地蔵通東七番町に至る」(封内風土記)。当町はかつて寺町であったが,寛永14年頃寺々が八塚(やつつか)へ移転し,新寺小路と称したことに対して元寺小路と称した。この地は広瀬川氾濫原の上町段丘の南縁に当たり,定禅寺山に続く所で東番丁一帯を広く見通す場所で,天台宗満願寺・光円寺,真言宗密乗院等があった。寛永13・14年の頃,八塚に新寺小路が営まれるまでは,寺小路と呼ばれ東七番丁辺まで寺が配置されていたらしい(仙台市史1)。すべての寺を移したわけではなく,前記の諸寺は残された。このうち光円寺は地曜山と号し,政宗の母保春院の護持仏であった不動尊を与えられ,仙台城鬼門鎮護の祈祷所として厚い崇敬を受けていた。移転した寺の跡地は職人屋敷に割り出され,大工職人が住んで大工町と呼ばれた。正保絵図にはこの地区が描かれていて,西半は八幡宮・観音堂と侍屋敷,東半に職人屋敷が見えるが,その道筋は後世のものと多少違い,北方にずれていたようである。寛文以降になると町並みも変化は見られなくなる。明治に入ると藩の外護を失った諸寺院はいずれも困窮し,密乗院は廃寺となった。その跡に明治32年仙台市高等女学校が移転,翌年には宮城県高等女学校となった。これより先,明治26年にはカトリック聖教会によって私立仙台女学校が同所の花京院側に開校。明治初年の大教宣布の政策にからんで,同7年満願寺・光円寺の境内をさいて,中央の大教院の下部組織である神道中教院が設けられ,のち宮城県神職会・神職養成所と変遷。明治20年の鉄道開通後は町並み自体が鉄道線路によって分断され,大正年間に高架道路X(エツクス)橋が架けられるまで,発展が妨げられ,駅東地区は停滞を余儀なくされた。一方西半の地区は駅前から中央部への通路としてにぎわいをまし,通りも東二番丁まで延長され,日吉町や不動前丁の新道も開かれて交通の要地となった。不動前丁は光円寺境内を分断して開かれ,光円寺に不動尊がまつられていたことから不動前丁と命名された。商店も多く進出。第2次大戦の戦災によって壊滅したが,復興計画の中でこの地区内を基幹道路の広瀬通や元寺小路七北田線が縦横に通ることになり,その景観は大きく変わった。昭和45年国鉄線路以西の地区に住居表示が実施され,現行の花京院1丁目・中央1~2丁目・本町1~2丁目となる。線路以東にはまだこの地名が残っているが,東北新幹線の路線下になったり,駅東再開発計画などで大きく変わりつつある。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7019357 |





