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赤神神社
【あかがみじんじゃ】


男鹿(おが)市門前本山(ほんざん)鎮座。祭神は天津彦火瓊々杵(あまつひこほのににぎの)尊。「本山神社」ともいわれ,赤神とは古代中国で南方の神のことであるが,ここでは天台宗との関係で,比叡山鎮守赤山明神の信仰を本山派修験がもたらしたものの転化らしい。道教的神仙信仰と,修験道の山岳仏教が結合し,山頂から遠く飛島・佐渡・能登と連なる西廻り海運の船路を望み,思いを大陸にはせることのできるこの北の海島に異国にかかわる神信仰が定着しても不思議はない。創祀の由緒は,景行朝に武内宿禰が本山頂上に座す武帝に会ったことに由来するというが,本来は男鹿三山最高峰本山(716m)の山の神の信仰に発している。斉明紀に見える齶田浦(あきたうらの)神がこれであるとの説もある。別当寺の日積(につしやく)寺はもと天台宗で真言宗に転じたが,今は廃寺となっている。貞観2年慈覚大師が赤神山日積寺永禅(ようぜん)院の号を与え,建保4年源実朝のもとで叡山七社にならい五社堂を造ったと伝える。現在門前には長楽寺しか残らない。往古は9寺48坊であったというが,文化7年にもすでに永禅院と小寺の長楽寺と椿の吉祥院しかなかった。中世の寺領は730石であったのが,当時は170石であった(男鹿の島風)。安東秋田氏時代の深い崇敬が寺領からだけでも察知される。五社堂の現在の建物は延宝の築造といい,五社ともに3間四面入母屋造・妻入,唐破風付きで,中央社堂に安置の1間厨子は室町様式で昭和40年に国の重要文化財に指定されている。五社堂の神は向かって左手から十善子・赤木明神・阿迦(あか)神(武帝)・二の宮・八王子であり,阿迦神の奥には薬師仏が秘仏としてまつられていた(男鹿の春風)。神社で伝える観音立像・十一面観音像の両木造仏と狛犬1対の石像は県指定の文化財である。鬼が1夜で造ったと伝える流紋岩の階段に結びついた「なまはげ」の行事は,旧暦1月15日の夜で,赤鬼・青鬼の面とけら・みの(背みの・腰みの)を身につけ,大きな木の庖丁と木の手桶を持った鬼人が村里に現れ,「泣く子いないか」と家々をめぐるが,この鬼が武帝の五鬼だという説話になる。本山から真山の方にたどる修験の山駆けが順の峰になる。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7019588