明沢
【あけさわ】

旧国名:出羽
「あかさわ」ともいい,赤沢とも書く。明沢嶽金峯山の山麓に位置する。南寄りの亀田地区に古代平鹿(ひらか)郡衙があったともいわれ,金峯山蔵王権現は古代の勧請と伝えられる。坂上田村麻呂・源義家・一遍上人ら関係の縁起を持ち,特に中世の棟札や元亨年間の板碑は中世にはまぎれもなく当地方の信仰の一大中心地であったことを示す。観音堂・毘沙門堂などの諸堂や別当の修験光明院は中世以前にさかのぼり,曹洞宗香最寺も戦国初期の開基という。山麓に館址があり,古館・山館・郷土館・館屋敷の字地がある。天正18年に周辺の亀田村や二井田(にいた)村を赤沢村分として開田したと伝えられ(雪の出羽路・神原家文書など),中世末期の赤沢村はかなり広地域であったと推定される。明沢の地名は明沢山によるといい,また赤肌の地層を流れる沢および蔵王権現の閼伽井とする沢から赤沢となり,明沢に転化したとする説などがある(雪の出羽路など)。
【明沢村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【明沢(近代)】 明治22年~昭和32年の醍醐村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7019635 |





