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唐松神社
【からまつじんじゃ】


仙北(せんぼく)郡協和町境鎮座。祭神は饒速日(にぎはやひの)命。饒速日命は物部氏の祖神で,この神社の社家は物部氏。当代まで物部守屋の一子那加世から63代目という。安産の神として有名で,物部氏に伝わった神功皇后の腹帯もまつっているという。もとは唐松岳の上にあり,天喜5年源義家が再興したと伝えるが,「秋田風土記」では,唐松権現社は義家の建立,天喜5年の棟札があり,別当は修験光雲寺,祭は4月8日で湯立神楽,正月23日はお籠り,24日は火防祭・安産祭・湯立神楽,9月24日にも祭事があり,春秋には佐竹義峰の姫君3人献上の獅子頭による獅子舞が仙北一郡を巡った。氏子の産婦には往古からけがはなく,腹帯をせずに別当から守札護符を出す。社地は12間×86間,宮殿は5尺四面木羽葺,覆殿は3間四面板葺,拝殿は2間×3間板葺,神楽殿は2間×5間。鐘楼は1間四面。一ノ鳥居は1丈1尺5寸で幅8尺,二ノ鳥居は1丈1尺で幅7尺5寸であったとあり,特に神功皇后説話には触れていない。例祭の旧暦4月8日は現在も守られている。「六郡祭事記」では,4月8日の祭礼には六郡(秋田領)だけではなく,遠方からも女児が参り群をなすとある。正月23日のお籠りによって,信者の講中は「二十三夜講」と称し,広い範囲に及んでいた。社殿の屋根が街道と同一平面で通行人から社殿が見えない状態になっている。もと唐松岳にあった時代,人々は南から境に入る峰の山,北から入る松原峠で遙拝するならわしであった。延宝8年藩主佐竹義処が松原峠を馬上のまま通過し落馬したため,視界に入らぬ平地の下に移建したものという。安産のための名物という「唐松豆」が有名であった。現社殿の造営に伴って造成された参道わきの杉並木は天然記念物に指定されており,また奇石信仰をももつ物部氏の邸内社唐松山天日宮という石造りの神殿も近代になってまつられている。やはり安産の神である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7020671